ぼくが勘違いしてたこと ~独立は、周りから「独り」で「立てる」ように支えてもらうことだったんだ~

ぼくは大学に入ってから、「独立」をしたいと思ってました。それは、結果的に起業という道でした。

今思うと、昔から独立したいという漠然とした気持ちがあって、その理想は時には医者だったり、弁護士だったりしたこともありました。

医者であれば、患者と向き合い、病を治すこと。
弁護士であれば、依頼人の問題を法律の観点から解決していくこと。

ぼくがなりたいと思ったことのある仕事は、「独立性」が強い、あるいは「独立」を見出しやすい職業だったように思います。



ぼくは、「独立」とはその文字の通り、「独り」で「立つ」ことだと思ってました
よく、学生から社会人になることを「独立」と言ったり、ある会社からフリーになることを「独立」と言ったりしますよね。「独立」という言葉はいろんな文脈で使われるから、その意味は一概には言えないでしょう。


あなたは、「独立」という言葉に対してどのように感じますか?あるいは、あなたは今、「独立」してますか?



「独立」っていったい何なのだろうと思ったことは、正直ぼくにはありませんでした。

まず大きく挙げられるのは、親からの経済的「独立」だと思います。就職をして働き始めると、親から「独立」したように感じる方は多いのではないでしょうか?

ぼくもこれは一種の「独立」だと思っています。自分でお金を稼ぎ、生活していくこと。




しかし思うんです。これって、自分を支えてくれる担い手が、「親」から「社会」になったということなんじゃないかと。あるいは、身近な例で言うと、「自分の会社」や「取引先」かもしれません。



もう一度言います。ぼくは「独立」とは「独り」で「立つ」ことだと思っていました。

でも本当は、気がつけばぼくは「独り」で「立たせて」もらってたんです。

自分の仕事も、生活も、がんばればがんばるほど、人から助けてもらっていたんです。仕事だって、自分で生み出したとしても、それは誰かが必要としてくれるからで、その人たちがいないと仕事にならないんです。




ぼくは高校時代に、馬術で国体に出場しましたが、これはぼくがたくさん練習していたからとも言えます。
しかしその一方では、親が高いお金を払ってぼくのがんばりを支えていてくれたんです。

自分でがんばり、自分の世界を築こうとすればするほど、周りの力が重要になってくるんだと思います。


周りの人に感謝しなさいと、世の中で言う人もいるでしょう。
「感謝の気持ちでいっぱいです」というオリンピックで優勝したような選手の言葉に飽きてしまい、「感謝」という言葉が陳腐なものになってしまっている人もいるでしょう。



本当に、本当に自分のしたいこと、仕事や趣味に没頭すると、もはや「感謝」以外の言葉が生まれてこないんです。







ぼくの頭の辞書の中から、「独立」という言葉が消えて、新しい「独立」という言葉が入りました