わたなべみき批判を見ると怖くなる

わたなべみきさんはいわゆる「失言」をしてしまった


労災認定の件、大変残念です。四年前のこと 昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理 できていなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです


労務管理できていなかったと経営者として公に発言をして、人々に納得してほしいとするのは少し無理があるでしょう。
会社としてこういう見解は示せても、個人としてこう言ってしまうとなかなか。。。

そしてもってもうすでに自殺した人がいるのにあえて「社員の幸せ」を第一だと言う「空気の読めなさ
こういうのはネットで叩かれますよね



続いて、
バングラデシュ 朝、五時半に、イスラムの祈りが、響き渡っています。たくさんのご指摘に、感謝します。どこまでも、誠実に、大切な社員が亡くなった事実と向き合っていきます。バングラデシュで学校をつくります。そのことは、亡くなった彼女も期待してくれていると信じています。


バングラデシュに学校をつくること自体は非難されることではないでしょう。「ワタミ」の経営者としての経営方針などであり、これはある意味普通のことです。しかしここで、「亡くなった彼女も期待してくれていると信じています」と言ったところがまた「空気の読めなさ」だった思う。

経営者と従業員は全くもって仕事や考え方、役割がちがうんです。

彼女がどう本当に思っていたかは定かではないでしょうが、こうやって従業員の彼女にバングラデシュに学校を作ること自体も期待していると「期待する」のは無理があるし、反感を買う発言箇所だったでしょう。

まぁ多くの人にとってバングラデシュに学校ができようができまいがあんまり関係ない話であると思います。




わたなべみきが叩かれるのはある意味彼がツイッターをやっていて、それなりに顔も知れてるからあんまり驚きはないです。


しかし、
この人が発言したことなどに対して、確実に戦えそうな材料、すなわち一人の人間が死んでいるということを盾にして、わたなべみきに対して非難を集中砲火させるのは、いつもながら日本怖いなぁと思うしだいです。

自分が言っていることが100%非難されることはないだろうと踏んだとき、一気にみんなで責め立てるこの風潮は少し怖いです。
例で言うと、飲酒運転がそうですかね。




今回、ひとりの社員が亡くなったことは本当に残念なことだと思います。

労災認定された以上、これからの再発防止に努めていくと発言するしかないのに、ここで認めないと、また同じことが起こるのではないかとワタミ社員も不安に思ってしまうのではないでしょうか。

全体的に、わたなべみきの発言は「残念だった」と言えるのでしょう。




あと、最後に。
これはある意味今回の事件のタブーなのかもしれません。

それは、自殺した人も、仕事がきつければやめるという選択肢もあったのではないかということです。

死ぬほどつらい仕事を、死ぬまで続けると、それは「死ぬほど」ではなくなります。

自殺するほど苦しんでまでしなければならない仕事が世の中にあると言うのでしょうか?

その仕事をやめ、ちがう世界の仕事をして、幸せになっていくという選択肢はなかったのでしょうか?



そうなると、今度は「わたなべみきの失言」問題から「自殺してしまう日本社会」に問題の焦点が移っていきます。

本当はそういう社会に問題があるけど、誰も「社会」を相手にできないから「わたなべみき」を非難しているだけなんではないかと。



なんだかそんなことを思ったしだいです。。。